■志田歩 ライナーノーツ


 世の中には時として才能ゆえに自分の運命を狂わされてしまう人がいる。今皆さんが手にしているこのアルバムを作った篠原りかもその一人だといえるだろう。初めて書いた曲がたまたま送ったオーディションでグランプリを獲得してしまい、学生時代にメジャー・デビュー。はたからはラッキーなシンデレラ・ガールに見えたかも知れない。しかし本人にとってその状況は、予想もしていなかった目まぐるしい展開に追われるばかりで、決して快いものではなかったようだ。今になって彼女はその頃のことを「鏡を見ても自分の顔じゃない。名前を言っても自分の名前じゃないみたいな感じだった」と振り返っている。
 そんな混乱から抜け出すために彼女は3枚のアルバムを残して音楽活動を休止。今となっては<休止>だが、当時は完全に辞めるつもりだったという。そして以前からやってみたかったという遺跡発掘のアルバイトにのめり込む。しかしその仕事現場で同僚がギターを弾いているのを見た時、新たな転機が訪れた。周囲の期待に応えるためではなく、まず自分が楽しむために音楽をやってみたいという想いがこみ上げてきたのだ。元々彼女は鍵盤やベースを弾いていたが、これ以後の彼女はギターの弾き語りを基調とする形で音楽生活の第二章をスタートさせる。
 才能ゆえに苦労した彼女だが、今となってみるとその苦労は無駄ではなかった。なぜならそうした経験を積んだことで、現在の篠原りかの音楽には、彼女の<生活観>を色濃く反映するしなやかでいて強いポリシーで貫かれるようになったからだ。ただしここでいう<生活観>とは、本人の経験だけにすがった私小説的な<生活感>ではない。様々な時代、様々な場所で多くの人々により積み重ねられてきた日々の営みへと連なる寛容なイマジネーションに彩られた<生活観>なのだ。
 そうでなければ復帰作となった昨年の『生活のうた』のタイトル曲における時間的な広がり、あるいは本作の「Stay on the line」における空間的な広がりは生じなかっただろう。だからこそあの楽曲の<どこにも行かないよ ここが世界だ>という一節は、<どこへ行っても自分は自分だ>という旅人の目線にリンクできるのではないか。
 そして実際に彼女は自分の<生活観>を掘り下げることで、旅人としてのしなやかさも獲得してきた。国内ではバンド編成でのステージも行う一方、すでに3回にわたって展開したアメリカ・ツアーは、一人だけの弾き語りで行っており、その反応は回を追うごとに大きくなってきている。つまり海外でも独力でアピールできる表現者としての地力を身に付けてきたのだ。
 だがそれだけではない。前作『生活のうた』と今作『Daylight』は、共に下山淳との共同プロデュース。彼女は下山のことを「とても良いバランス感覚を持った人」という。下山といえば、ルースターズや60/40で活躍してきたワイルドなギタリストというイメージがあるが、彼が99年に発表した二枚のソロ・アルバムは、それぞれアコースティックとエレキを基調とする対照的な内容だった。そんな振幅に彼女自身がシンクロする部分もあったに違いない。アコースティックな手法で自分のリアリティを掘り下げつつ、それを基盤としたアンサンブルでイメージを広げていけるのは、今の彼女ならではの強みだ。
 ちなみに僕が本作で特に気に入っているのは「Waste Beer」。歌詞の中での視線のスリリングな転換とベースレスのユニークなアンサンブルの組合せは、前述の彼女の経験とバランス感覚の調和から生まれた賜物だと思う。

2001年4月12日 志田 歩