■下山 淳 ライナーノーツ


  彼女の唄を初めて聞いたのは1998年の終わり頃だったと思う。
その年に僕は、初めてのソロ・アルバムをレコーディングしていたのだった。少し以前に彼女は「ぶらぶら」という作品を発表していて、なぜだかそのCDシングルが僕の手元にあり、普段レコーディングしている時は他人のCDを聞いたりしないのだけど、またまたなぜだか聞いて、そして自分のアルバムの中の1曲を唄ってもらい、この作品に至る事になる訳です。

 彼女の作品にとても感じている事があって、それは武蔵野の中の無くなっていく何か、感情とか、子供っぽさとか、喪失していく失われていく何かという事に対する、客観的なんだけれども決してあきらめない、東京人なんだけど、下町とか山手とかとは違う視点というか感情というかが、作品の根底に常に流れているように思う。

 武蔵野、っていっても今じゃもう武蔵村山市とか、東久留米とかあの辺(ゴメン、何の事か分かんないよね。判りやすく?いえば東京の西部で、昔は森や野原が多かったとされる。20年位前には吉祥寺辺りから武蔵野っぽいなんて言われてたっけ)ぐらいまで行かないとそんな雰囲気無くなっちゃったけれど、東京だって山もあれば野もある、河もあれば森もあるニューヨークだってロンドンだってね、大都会だけどちゃんとあるんだけれど。

 なんかだいぶ脱線したみたいだけど、これは単なる僕の勝手な憶測に過ぎないし、彼女にそんなこと言ったら、”なあにぃーってんですかぁ〜”なんて言われるような事なんだけど、例えば「有刺鉄線の向こう側」とか、「OUTSIDE」、「3丁目のしあわせ」等々の曲の中には、そういった無くなっていく何かに対する、あきらめてはいないけれどもそれがゆえにおこる様々な感情といったものが、散りばめられているような気がするのだ。

 この7曲の作品は基本的には、99年の夏の暑い日から2000年1月のクソ寒い日までの期間、彼女と僕、それに白石君の3人によってレコーディングされた。ミレニアムだなんだと世の中が騒いでいるのを尻目に、しかし僕にとって(そして彼女にとっても?)忘れ難い作品になった。

2000年2月 下山 淳